宗祇法師という人物

 

 宗祇は、室町時代に活躍した連歌師で和歌の西行、俳諧の芭蕉と共に三代詩人として知られる漂白の人です。

和歌から派生した連歌を大成し、幅広く世に広め、将軍足利義尚からは「連歌会所奉行」を、後土御門天皇からは「花の下」という称号を得、連歌界に君臨した巨匠と言われています。

また生涯に渡り平和を求め、平和を愛した歌人でした。

 

 生まれは応永28年(1421),出生地は滋賀県能登川町と和歌山県有田郡吉備町の両説があります。

父は伎楽師、母の生家、飯尾家は今川一門の武将であったと言われていますが多くの謎に包まれています。

 宗祇は連歌を格調高い文学性、芸術性のあるものへと磨き上げ、旅を通して京都の文化を地方に伝えました。

また、多くの優れた作者を排出した師であり、連歌論の著者として、また数多くの連歌の実作者としてその功績は甚大なものと言えます。また連歌のみならず「源氏物語)「伊勢物語」など古典の講義など文学全体に渡っての高い教養の持ち主でした。

 

 代表作は古来より最も優れた作品とされる連歌集「水無瀬三吟百韻」を始め、懇意にしていた三条西実隆と共に編集した「新撰菟玖波集」などの多くの文化価値の高い作品を後世に残しました。

 

 越後から美濃へ向かう旅の途中、箱根で急死、弟子たちによって宗祇の愛した富士山の懐、裾野市桃園の定輪寺に手厚く葬られました。文亀2年(1502)、82歳でした。

 現在、定輪寺には、地元の有志による、没後300年、350年、400年、450年、500年の記念祭の歌碑や記録が残っています。




宗祇桜の写真です。
宗祇桜

宗祇桜

宗祇桜をご存知ですか?

定輪寺に眠っている宗祇の墓所に寄り添うように植えられている桜のことです。これはかつて宗祇没後五百年祭の折に、主催者裾野市宗祇法師遺跡保存会に郡上大和市から送られたものです。