②今川氏と宗祇そして定輪寺
1466(文正元)年、宗祇46歳。7月、駿河府中の今川義忠に招かれ、そこでの連歌会で有名な
『世こそ秋ふじはみゆきの初嵐』を詠んでいす。
8月、宗長に誘われて清水潟に月を眺めて連歌一折。
同年、今川家の紹介で定輪寺を訪れ、今川家の位牌を
祀っています。
宗祇亡き後1502(文亀2)年8月15日、駿河府中の守護
今川氏親のもとで宗祇追悼連歌会が開かれ、その折生前
宗祇が用意していた歌
「曇るなよたが名はたたじ秋の月」を発句にし師を
偲んだとのことです。
今川氏は、1565年、定輪寺における楊天、林翁、明鋼の抗争に対しての裁許において、今川氏真が3月5日に判物を下し、それを追認するようにして葛山氏元が4月15日にほぼ同容の判物を発しています。