2 今川氏と宗祇

①室町時代の今川氏

 定輪寺は古くは、真言宗で弘法大師(空海)の開創と伝えられています。応永年間(1394〜1428)に住職安恩が寺を僧春屋宗能に譲り、1429(永享元)年に宗能が曹洞宗に改宗しました。

 1551(天文20)年、今川義元は、「今川義元手寺中安堵物によって定輪寺に寺領などを『不入の地』として安堵しています。氏真も同様の文書を発行しています。

②今川氏と宗祇そして定輪寺

 1466(文正元)年、宗祇46歳。7月、駿河府中の今川義忠に招かれ、そこでの連歌会で有名な

『世こそ秋ふじはみゆきの初嵐』を詠んでいす。   

8月、宗長に誘われて清水潟に月を眺めて連歌一折。

 同年、今川家の紹介で定輪寺を訪れ、今川家の位牌を

 祀っています。

 宗祇亡き後1502(文亀2)年8月15日、駿河府中の守護

今川氏親のもとで宗祇追悼連歌会が開かれ、その折生前

宗祇が用意していた歌

 「曇るなよたが名はたたじ秋の月」を発句にし師を

偲んだとのことです。

 今川氏は、1565年、定輪寺における楊天、林翁、明鋼の抗争に対しての裁許において、今川氏真が3月5日に判物を下し、それを追認するようにして葛山氏元が4月15日にほぼ同容の判物を発しています。