1 連歌と連句
言葉を紡ぐ詩形は古くから日本に定着していました。その発祥は
・説1〜「古事記」「日本書紀」に記載されている甲斐の酒折宮の片歌(五七七)2句の旋頭歌に似た唱和の伝説に求める説。
・説2〜「万葉集」に掲載されている大和の佐保川における実在の人物、大伴家持と尼との和歌の上の句(五七五)と下の句
(七七)との唱和を源流とする説があります。
「連歌」は、鎌倉時代ごろから興り、和歌のつよい影響の元に成立したものですが室町時代にはその和歌をしのいで大成され、
天皇、将軍をはじめ公家、僧侶や地方の武将に至るまで連歌を巻くことを一つの教養として盛んに座を開きました。
以降日本の伝統的文学として我が国に君臨して来ました。
連歌は雅やもののあわれを詩趣とした王朝文化の名残をとどめる文芸でしたが、武家や町民社会に移るにつれ、俳諧風刺が
取り入れられてくるようになり「俳諧の連歌」と呼ばれるようになりました。
明治に入り、正岡子規などの影響をうけ、その発句のみを取り上げ「俳句」が生まれました。それを受け高浜虚子がこれまでの
俳諧の連歌を「連句」と呼び今日に至っています。